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東京商工リサーチ横浜支店によると、中華料理店経営のリック(川崎市宮前区)は東京地裁から破産手続き開始決定を受けた。決定は18日付。負債は関連会社でオフィス用品販売の栄文(同)との合計で22億円とみられる。 リックは1975年設立。中華料理店「黒龍」など3店舗を経営する。90年に本社ビルを建設したが、不況で債務が重くなり資金繰りが悪化。昨年11月に事業を停止していた 神田中華料理一覧 PR |
避難所で暮らす被災者を料理で勇気づける人たちがいる。ここは1000人以上の被災者が暮らす陸前高田市立第一中学校。午前5時、底冷えする中庭で男たちは活動を始める。親子3代60年続く中華料理店のコック、アメリカの和食店で働いたこともある元和食職人、この道30年の寿司職人ら7人ほどがチームを結成し、日々調理に励んでいる。全員が自分の店と家を失い、避難所や親族宅に身を寄せる被災者でもある。
そのひとりがレストラン「くっく亭」を営む河野義典さん(47)だ。救援物資が届いて避難所で調理できるようになった震災4日目、体育館に流れた「調理師免許を持っているかたはいませんか」という放送を聞いて参加した。 「きついのは知ってるけど、嘘はつけねえべなって。この状況を見ればやんねばなんねえべなって」(河野さん) 第一理科室とそこに面した中庭が調理場になった。室内で切った大量の野菜やといだ米などを屋外に手渡し、裸のガス釜が並ぶ中庭で調理する。目立たない場所にあるので、作業に気づく避難者は少ない。 仕事は実にハードだ。早朝5時に集合し、8時半に配る朝食の支度をする。そのまま正午過ぎまで昼食の調理をし、わずかな休憩を挟んで夕食の準備が始まる。午後8時を回ってから、ようやく“自宅”である体育館に戻る。しかも当初はテントや風よけのない青空厨房だった。降りしきる雪の中、屋根もなく凍える手で1000人分のみそ汁を混ぜたこともある。 河野さんは震災で自分の店と自宅、愛する母親を失った。 「安置所にはいった途端、『助けなくてわりかったなあ』と涙が出た。ボロボロになったけど、ここにくれば力が出る」(河野さん) 苦しい状況できつい仕事をしながらも調理場には笑いが絶えない。調理メンバーのひとり、寿司職人の阿部和明さん(57)がいう。 「みんな何かを失った人ばかり。本当は地獄のような状況だけど、みんなでいると明るくなれる。ここには“絆”があるんです」 ある日調理をしていると、夫を亡くした婦人に「いつもご苦労さま」と声をかけられ、河野さんは言葉を失った。高田一中では、誰もが支え合って生きている。 「自分だけでなく、みんな同じ気持ちなんだと思うとパワーが出てくる。どこまで手伝えるかわからないけど、できる限り踏んばるつもりです」(河野さん) ?※女性セブン2011年4月14日号 |
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